私は、彼女の全てを知っている。



     コーヒーカップ



 私は、コーヒーカップだ。淡いグリーン色。彼女の瞳に似ているからと、まだ付き合ったばかりだった彼女の恋人が買い、彼女に贈った。いや、元・恋人が。
 彼女は近頃、酷く嘆いている。
 二日ほど前だっただろうか。
 元・恋人は、彼女に別れを告げた。
 他に好きな人が出来たのだ、と。
 彼女は酷く嘆いた。
 その日以来、彼女に毎日使われていた私は、一度も使われなくなった。流しにそのまま、二日前に淹れたレモンティーが洗われることなく、底に少しだけ残っている。
 私が汚れていることは、別に構わなかった。
 一刻も早く、彼女の悲しみが収まってほしかった。
 ただ、彼女の嘆く姿を、見たくなかった。
「愛してるのに」
 何度も何度も、彼女は嘆きながら呟いた。
 愛してるのに。どうして。どうして。愛してるのに。
 私は、彼女の元・恋人をひどく憎んだ。
 どうして彼女を愛しさない。どうして。どうして。
 彼女はこんなにも、お前を愛していると言うのに。
 それから何日経っただろう。
 嘆き続けてた彼女が、不意に立ち上がり、私の元へ来た。
 彼女の何かを決心したときを思い立たせる表情が、やけに美しかった。
 何を決心したのかは、分からなかった。
 彼女はスポンジに洗剤をつけて、丁寧に私を洗った。
 それは、とても心地が良かった。
 洗い終わると、彼女は湯を沸かす。そして、いつも飲んでいるお気に入りのレモンティーを淹れ、私に注いだ。
 立ち上る湯気。この感覚が好きだ。
 彼女は私を机まで運び、ゆっくりと置く。
 そして、私を眺めた。
「彼にもらったもので、一番気に入ってるかな」
 そう言って、小さく彼女が微笑んだ。
 それが、ひどく嬉しかった。
 彼女の笑みを見たのは、本当に久々のことだった。
「いつも、レモンティー淹れて飲んでたな」
 私はコーヒーカップだが、彼女はコーヒーが飲めなかった。
 私を買ったとき、まだ彼女と付き合ったばかりだった元・恋人は、それを知らなかったのだ。
「コーヒー、結局飲めるようにならなかったや」
 落胆した元・恋人に、いつかコーヒーを飲めるようになるから大丈夫だよと、彼女は笑った。
 懐かしい記憶だ。
 彼女は私を持ち上げると、口付けた。
 まるで、キスをしているようだ。
 けれどそれは私の錯覚で、彼女はゆっくりとレモンティーを飲む。
 初めて淹れられた時から、私の中のこの味は変わっていない。
「…美味しい」
 そう言いながら、彼女は全てを飲み干す。
 そして、また微笑んで、私を眺めた。
 嬉しいはずの笑みに、何故か不思議さを覚えた。
「…あんな男、忘れないとね」
 表情は、微笑んでいるのに。
 彼女の頬には、涙が伝っていた。
 泣かないで。嘆かないで。
 彼女のそんな姿は、見たくない。
「いつまでも、思い出して泣いてるばかりじゃだめよね」
 一滴は、二滴へ、そのまま、涙はぼろぼろと落ちる。
 私は、彼女が何をしようとしているのか分かってしまった。
 けれど、それでもいいと思う。
 それで、彼女が嘆かなくて済むのなら。
「…さよなら」
 さよなら、愛しい彼女。
 彼女が腕を振り上げる。その腕が下がるときには、私は彼女の指を離れて。

 ――カシャン。

 コーヒーカップは、微笑んだかのように、小さく音を立てて壊れた。

      07.03.21 ... World --333--



  サークルに出したの。好評でした。

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